ヘルスリテラシーを高めよう~自由ヶ丘、川崎のパーソナルトレーナー 向井ひろみ~

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【野球】高野連は選手をナメているとしか思えない

おはようございます!自由が丘と川崎市多摩区で活動するパーソナルトレーナーの向井ひろみです!

 

徐々に野球の記事もまぜてきておりますが、今日はこの話題にお付き合いください。

 

news.yahoo.co.jp

 

このニュースが出たのは1/28(金)なのでやや出遅れた感は否めませんが笑

春のセンバツ高校野球(春の甲子園)の出場校の選抜を巡って賛否両論が巻き起こってます。

いや、残念ながらそんなに賛はなく否の意見がほとんどです。

 

簡単に説明すると…

春の甲子園夏の甲子園の違い予選がありません。

前年の秋季大会(3年生が引退し新チームになってから最初の大会)の戦績を参考に高校野球連盟が出場校を選抜します。

なので秋季大会の戦績が下回る高校が選ばれることは制度上起こり得ります。

今回は東海地区大会のの準優勝校である聖隷クリストファー高校が落選し、ベスト4の大垣日大高校が代表高に選ばれました。

そこに対し納得のいかない世間の声や専門家の声が大きくなっています。

 

私もこの選考には納得がいってない人のうちの1人です。

選考に納得がいってないというか、高野連が述べた選考理由や近年の選考の傾向などを踏まえると聖隷クリストファー高校の部員たちが納得できるようなものでは到底なく、一生懸命戦っている少年たちに対し大人が「誠意を見せていない」ことに納得がいきません。

 

「誠意を見せていない」と感じる理由は以下のとおりです。

 

21世紀に入ってから東海地区の準優勝校が選ばれなかったことはなく、決勝に残ればセンバツに出れるという印象をつけてしまっている

東海地区の最低出場校数は2校、その他北信越地区との兼ね合いで3校や4校になることもあります。

故に、優勝準優勝校は当確で、ベスト4に残った高校から戦績などを踏まえ選ぶというのがここ20年以上の慣例になっています。

あくまで慣例なので従う必要はないかもしれませんが、弱いチームが強いチームを倒すために知恵を絞ったりチームワークを発揮してなんとか勝利することに団体競技の魅力があることを考えると戦績の重みは大きいはずです。

仮に準優勝とベスト4の選抜がひっくり返るとしたら準優勝校は0-10で優勝校に敗れ、ベスト4の高校は優勝校に1-2で敗れるなど、準優勝とベスト4の差の要因はくじ運にありチームとして力をどれだけ発揮できたかはベスト4の高校に分がある、というケースです。例えば4枠以上の地区でベスト4の高校が出場できずベスト8の高校が出場できるというのはだいたいこのケースに当てはまります。

今回のケースでいうと共に優勝の日大三島高校に敗れ、聖隷クリストファー高校は3-6、大垣日大高校は5-10というスコアでした。

スコア上で見ると準優勝の聖隷クリストファー高校のほうが善戦しているように見え、スコアだけで語るのは難しいですが準優勝とベスト4の価値が逆転するほどの内容だったかというとそんなことはなさそうです。

なので慣例的にどう見ても聖隷クリストファー高校が選ばれる戦い方だったところこの選び方は少々無理がある気がします。

慣例に従わなければいけない訳ではないですが、慣例に倣わない内容ではなかったと感じるが故に高野連の説明不足感が否めません。

 

大垣日大高校のほうが甲子園で勝てそう、投手力など個人の力に分がある」発言

まず、前者の「甲子園で勝てそう」というのは希望的観測の域を脱せず、聖隷クリストファー高校に対する冒涜でしかないと考えます。

聖隷クリストファー高校と大垣日大高校が直接対決したわけではないですが、お互い日大三島高校と対決しているのでそのスコアが参考になります。

試合をみる限り、大垣日大の選手のパフォーマンスのほうが高かったのでしょう。しかし、言い換えれば能力で劣る聖隷クリストファー高校の選手たちが粘りの戦いを見せ3点差以内のゲームをしたとも言えます。

個のパフォーマンスの高さの野球がいいか、頭脳やチームワークなどパフォーマンス以外の工夫が凝らされた野球がいいかは好みの問題であり個のパフォーマンスを重視することは個人的思考としては否定しません。しかし、高野連はその個人的思考を基準に準優勝とベスト4の重さをひっくり返したものですから聖隷クリストファー高校としてはたまったものではありません。

予選を持たない選抜大会とはいえ「甲子園で勝てそう」「投手力など個人の力に分がある」といった客観的根拠のない個人の感覚で選んでいるようにしか見えません。

というか、この理由がまかり通ると思っている時点で聖隷クリストファー高校へのリスペクトを欠いているとしか思えません。大人も子どもも変わらぬ人格があります。誠意を欠き、子どもを舐めたようなこの発言には腹が立ちます。

 

 

以上から、私は今回の選考に納得がいってません。

一方で、1924年から始まったこの大会。当時は各地方大会の細かいデータが今ほどはまとまっていなかったが故にここまで問題が大きくなることは少なかったです。

何でも情報が得られる現代に明確な基準を持たない選考というのがそもそも無理があるのかもしれません。

夏の甲子園同様に秋季大会の勝ち負けを絶対的な基準にする時期なのではないでしょうか。

 

私がプレーする立場であれば、「秋季大会を勝ち抜いてないのに甲子園に行ける喜び」よりも「秋季大会を勝ち抜いたのに甲子園に行けない悲しみ」のほうが上回ると思います。

両者を天秤にかけたとき、勝ち抜いた高校が出場できるにするほうが納得できるのではないでしょうか?

 

夏の甲子園があるかもしれませんが、甲子園に出場するチャンスは春夏合わせて5回です。

春の甲子園も大切にしてあげてほしいなあと今回の選考から思いました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます🙇⤵️